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庄屋庄七顕彰碑

物件のある興ヶ原町の県道4号線沿いに建てられた庄屋庄七顕彰碑です。興ヶ原村に生まれた庄七は25歳で大庄屋を受け継ぎました。興ヶ原村の水田はしばしば干ばつの被害を受けたことから、1851(嘉永4)年に布目川の水を引く工事を行いました。しかし水路の各所に漏水があり、自らの財産をつぎ込んで補修工事を継続します。1854年(安政元)年の大地震により水路が 壊滅すると庄七への非難が高まり、村から郡山藩へ訴えられ大和追放、財産没収となり失意の晩年をおくることになるのですが、その旺盛な社会奉仕の精神を称えるため顕彰碑が建てられています。

 

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