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平重衡供養塔
2016.07.03
木津川市木津宮ノ裏にある安福寺の境内には、平清盛の五男で治承4年(1181)に東大寺・興福寺など奈良(南都)の仏教寺院を焼討にした、いわゆる「南都焼討」を行った平重衡の供養塔と伝えられている十三重石塔があります。
寿永3年(1184)に一ノ谷の戦いで平氏は源氏軍に大敗を喫し、このとき平重衡は馬を射られて捕らえられます。平氏滅亡後、焼討を憎む南都衆徒の強い要求によって重衡は南都へ引き渡され、木津川畔で斬首されました。
安福寺から北西へパチンコの駐車場横の住宅街を抜けて
木津川堤防とJRの線路に囲まれた場所には「首洗い池」や、重衡が最後に食べた柿の種が成長したもので実がならないと言い伝えられている「不成柿」(ならずがき)という柿の木も残っています。